「なりたい自分」という言葉に、誰かの影が映っていなかったことがあるだろうか。
誰かのように、誰かの言葉で、誰かの評価の中で。
それでも、変わりたいと思ったのは、
“ほんとうの自分”がどこかにいるような気がしたからじゃないか。
「変わりたい」——それは、とても自然で、でも少し危うい言葉だ。
なぜならその“変化”は、ときに「誰かになること」と引き換えにされるから。
けれど、もし変化が「削る」ことではなく、「取り戻す」ことだったとしたら。
私たちはもっと自由に、“変わらないまま変わる”ことができるかもしれない。
「なりたい」気持ちを否定しなくていい。
でも、“なれなかった自分”を責める必要も、ない。
変わることは、変えることじゃない。変えることは、失うことでもない。
本当は、もっと静かなこと。
もし、変わることが「削る」ことではなく「取り戻す」ことだとしたら、
変わらないままでいられる場所が、最初の居場所だったのかもしれない。
そこへ戻ることと、もう一度出発することは、
きっと、同じだったのだ。
変化は、結果ではなくプロセスだ。
誰かのようになることよりも、自分に戻ることの方が、ずっと難しい。
でもその難しさを越えた先に、
“ほんとうの変化”があるのかもしれない。
問い続けよう。
「自分を変える」とは、「どんな自分を取り戻すことなのか?」
それが、REBOOTのはじまり。
このストーリーには英語版があります。Mediumで公開しています。
💡“Before You Try to Become Someone, Can You Reclaim Yourself?”
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